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ユリウス・カエサル

(今日から丁寧語を省きます)

ユリウス・カエサル(紀元前100?〜紀元前44)

古代ローマの英雄であり、独裁者として恐れられた人物。
制度的疲労を起こしていたローマ帝国を改革し、後の「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」の基礎を築いた。
「ユリウス・カエサル」という名のほかに、「ジュリアス・シーザー」という名でも呼ばれる。
カエサルを題材とした芸術作品は多く、代表的なものとしてはシェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」が挙げられる。

手前勝手な話だが、誰を一番最初に書くか、迷っていた。
尊敬する人物は多く、誰でも良かったというのが本音の80%である。
ドイツのビスマルクでも良かったし、中国の李世民でも良かった。
織田信長でも良かったし、大久保利通でも良かった。

ビスマルクや李世民、織田信長においては、政治家としての業績なら、カエサルに並ぶものを持っている。
しかし、人間的な魅力や、政治以外の能力においては、カエサルは他の人物より優れていたと思う。

物事の順序として、とりあえず、政治的業績を挙げたいと思う。
周囲の部族(ゲルマン民族など)の平定、植民都市の建設(失業者の植民地へ移植斡旋)、元老院(ローマの最高議会)の弱体化、暦の改定(ユリウス暦)、徴税額の固定化、などなど全ての分野に及んでいた。
代表的なものとして、2つ、周囲の部族の平定と暦の改定を紹介したい。

当時のローマは、ガリア民族(現フランス)、ゲルマン民族(現ドイツ)の侵略に悩まされていた。
カエサルは外交と戦争を繰り返し、フランス全部と、ドイツやイギリスの一部を平定した。
また、暦の改定では、当時1年は350日程度と考えられていたが、徐々に暦と季節のずれが大きくなったため、カエサルは抜本的に見直すことを考えた。
その結果、1年を365日とし、4年に一度うるう年を作るユリウス暦が誕生した。
(ちなみに、現在使われているのはグレゴリウス暦で、100年に一度うるう年が無くなることになっている)

では、政治以外の面ではどうか。
お金や女にはだらしなかったらしい。
カエサルは、将軍として有名になる前は、借金で有名だったほどの借金王だった。
彼は、「人は、借金では滅びない」という考えの持ち主で、額が大きくなっても気借り続けた。(しかし、将軍として名を挙げてから返済した)
また、ローマの元老院議員の妻の半分はカエサルの愛人と言われるほど、女性関係でだらしなかったらしい。
借金の額が大きかった原因の1つに、女性に贈り物をあげすぎていたことが言われている。

また、とても寛容な性格であった。
過去に対立したことがある人間でも許した。
彼が政権を取る前、多くの元老院議員が彼を妨害したが、勝った後でも処罰することなく以前と同じように活動させた。

当時、キケロという政治家がいた。
彼は、カエサルの独裁的な考え方に反対し、カエサルの敵(ポンペイウス)の擁護をした。
カエサルはキケロらに勝った後、以下のような手紙をキケロに送っている。

「わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになっても、そのようなことに心を煩わせたくない。何ものにもまして私が自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々もそうあって当然と思っている。
あなたも他の人々もローマに来て、私と共に私の目指す事実の完成に協力してくれるとしたら、どれほど喜ばしいことか。助言でも良い。忠告でも良い。あなたや他の人々がそれぞれ得意とする分野での協力でも良い。私は常に、それが役立つと思えば、誰の提案だろうと受け入れてきた。知識豊かなあなたからのものとなれば、その有用性は計り知れないだろう」

上述の李世民や織田信長は、このような寛容な心を持っていなかった。
中国史上最大の名君と言われる李世民は、兄と弟を殺し、父親を強引に退位させ、皇帝になった。
織田信長は、敵を殲滅し、一度裏切ったとなれば残酷な殺し方をした。

カエサルは敵を殲滅することは無かった。
ただ、それが故に、後に暗殺されることになった。

最後に、カエサルは文才があったことでも知られている。
彼が書いた「ガリア戦記」は文学的な評価が高い。
その彼が、文章を書く際の心構えをいったことがある。

「文章は用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間内でしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じように避けなければならない」

これから文章を書く僕は、この言葉を大事にしたい。

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